中世末期の武将赤座氏は、鎌倉時代に赤座九郎なる者が将軍に仕え、のち北条氏を経て室町時代に斯波氏の家臣となり、寛政年間(1460〜66)の影秋の時、今庄西方の新道に居館を設けた。
居館址は、新道の弥谷川の下流から、東の畑まで、南は町道を境として「十時館内」にあった。
なだらかな山裾は台地をなしており、南北二十八間、東西二十五間の居館や馬場、堀があったと伝えられている。
居館背後の山地は「殿城庵」といい、赤座氏の菩提寺である棟岳寺があった。
寺跡は「寺名」の字名とともに残っている。
また、古い五輪塔などもある。
その後、棟岳寺は赤座氏の移居に従い今庄に移った。
なお、この南方の山を越えたところは孫谷で、六十六字西山の二百メートル級の台地にも赤座氏の居館があった。
これは新道の居館の別館に当たり、いわば搦め手を守る要地でもあたった。
ここにも古い五輪塔などが残っている。
新道の山中に残る墓
注)この文章は、山本勝士さんが書かれた「福井県 今庄の歴史探訪」から許可を頂いて引用しています。



