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2009年09月06日

今庄宿の町並み

 宿の中心・仲町

 江戸時代、間口が狭く奥行きの深い、町屋敷特有の短冊型の屋敷地が街道に沿って、東側九九軒、西側九一軒が並んでいた。

 町ごとの件数では上町六四軒、観音町二四軒、仲町四一軒、古町三〇軒、新町一軒があった。

 間口が狭いのは、表間口に対して課税されたからで、今庄宿の場合、間口四間(約7.2メートル)から五間(メートル)、奥行き二〇間(360メートル)前後が一般的であった。

 そのなかで仲町とりわけ西側に規模の大きな家が多く、18軒の家並みのうち11軒が間口6間(10.6メートル)以上あった。

 ことに本陣の後藤家は、間口十間(18メートル)、奥行き三十七間(66.6メートル)もあり、敷地は約138坪あまり、14〜15の部屋数を持つ大邸宅であった。

 このように、宿の中心は南北約250メートルにわたって続く仲町で、道幅も周辺部の2〜3間(3.6〜5.4メートル)に対し、約5間(9メートル)に広げられている。

 ここには本陣・脇本陣をはじめ、問屋が集中しており、制札所も近くにあり、宿場の核をなしていた。

 街道は宿場南端の入り口で北西に向きを変え、上町通りにはいると、前後の見通しは完全に遮られるようになっている。

 宿北端では新町の2カ所で急激に屈折し、これも前後の見通しがきかなくなっている。

 これは関ヶ原の戦いの後、越前国主となった初代福井藩主・結城秀康は、北陸道を整備したが、このとき今庄は重要な宿駅として、防御を配慮して計画的に町並みを造らせたことにようものである。


  続く・・・・・・。

posted by 兵三(ひょうさ) at 08:47| Comment(0) | 今庄宿の街並み | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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