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2010年04月10日

9 京藤家住宅

 卯建(うだつ)をあげた屋根

 今庄の伝統的な町家からなる街並みは、その多くは明治以降のものであるが、その中にあって京藤家住宅は、塗籠(ぬりごめ)の外壁と赤みの強い越前瓦の屋根の上に上げた卯建によっってひときわ異彩を放っている。
 江戸時代に裕福な家でなければ卯建を上げられなかったので「うだつが上がらぬ」という言葉が生まれたという。

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 当家には文政元年(1818)の火事見舞控え帳が残っており、当住宅はその後の天保年間(1830〜1844)に建てられたものと推定されている。

 一般に町家は敷地間口いっぱいに建てるが、京藤家は母屋の左に前庭をとり、奥に座敷を配した本陣の形式をとっている。

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 屋根は瓦葺きの切妻で、母屋の両端に卯建をあげている。
 棟には煙出しの越屋根をのせ、変化のある外観を演出している。
 瓦は赤みが強く、越前瓦の中でも相当古そうに見える。

 一階の庇もやや小ぶりながら同じ瓦で葺かれており、越前の町家で一般的な厚板を二枚重ねにして「笄(こうがい)」と呼ぶ角材で押さえる方法を採っていない。

 外壁を塗籠(ぬりごめ)とした防火建築であるために、庇も不燃材で葺く必要があったためである。

 二階正面の壁は全面に虫籠格子を建て、窓と壁面との差を意匠的になくしている。
 登梁の間隔は五間(約9メートル)野間口を六等分している。
 
 壁の両端には袖卯建(そでうだつ)を設け、袖卯建は正面だけでなく、背面にも設け延焼防止の徹底をはかっている。
 一,二階とも外壁には塗籠にしている。

 全体に材料、仕上げともかなり質が高い。
 特に座敷の造作はひかえ目ではあるが、書院や天井に意匠をこらしたあとがうかがえる。

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 なお、幕末に水戸浪士の一行が立ち寄ったとの伝承がある。



 続く・・・・・。


 注)この文章は、山本勝士さんが書かれた「福井県 今庄の歴史探訪」からの引用です。



posted by 兵三(ひょうさ) at 08:34| Comment(0) | 今庄宿の街並み | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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