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2010年04月25日

10 郷土の功労者 田中和吉

田中和吉の功績

 田中和吉は明治九年(1876)、今庄村に生まれ、郁文小学校(今庄小学校の前身)を卒業するとともに、私塾で勉強しながら実家の荒物商を手伝った。
 大正七年(1918)能登物産会社設立を初めとして、大正一三年までに製糸・電気・運送・建物会社を、仲間とともに相次いで設立し、その重役となり郷土の経済発展に努力された。

 大正十年には今庄村会議員。
 十二年には県会議員に当選したが、任期中は無欠勤で、一度も外泊せず帰宅したという。
 昭和四年今庄村鹿蒜村組合長に推された。
 同五年私財を投じて旧加賀藩の本陣であった北村家の土地(880坪)を買収し、社会活動を実践する本部として昭和会館を建設され、引き続き修省寮、清心閣をたてられた。

 また、福井藩の本陣で、明治十一年明治天皇北陸巡幸の際の行在所となった後藤家の建物と土地(450坪)を買収し、天皇の居室とされた建物を、そのまま保存して明治殿とし、その前庭を公徳園とした。
 社会教育と社会福祉増進のための「啓潤会」は昭和八年四月に発足したが、よく五月永眠された(五十八歳)。
 昭和十二年、有志が発起人となり、氏の功績をたたえて銅像が建立された。

 昭和会館は昭和三十年(1955)四月の四カ所村の合併による今庄町発足から、昭和四十九年に新庁舎に移転するまで、本庁舎として活用された。


続く・・・・・。


 注)この文章は、山本勝士さんが書かれた「福井県 今庄の歴史探訪」からの引用です。


posted by 兵三(ひょうさ) at 06:50| Comment(2) | 郷土の有名人 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
5月5日行きました。郷土の偉人ですね。
今庄新羅神社、白髭神社祭礼で御参りしました。人が少ないのには寂しい感じでした。
5月2日には今庄88箇所に登りました、途中でしんどくなりましたが何とか頂上まで登りました。
東京では味わえない新緑の故郷でした。
                西新宿より
Posted by こーちゃん at 2010年05月10日 16:04
こーちゃんさんへ

おかえりなさい。
今庄はどうでしたか?

昔は祭りに合わせてお店も出ていたんだそうですが今ではもう出ていません。
さびしいですね。

田中和吉氏については銅像が旧今庄役場(現昭和会館)の前に建っていたんですが今では石の台座に丸い石が置かれているだけです。

戦時中に供出したと聞きました。

ですから氏を偲ぶには写真しか残っていません。

これも寂しいことです。










Posted by ケント at 2010年05月11日 04:40
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