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2010年08月07日

藤倉山と鍋倉山(2)

 今庄宿の惣社 藤倉権現跡

 藤倉山の山腹には今庄宿の惣社としての藤倉権現が祀られていた。

 その中心に高さ3メートル、横5メートルの巨岩がある。

 神仏習合が御本体であったのだろう。

 昔は修業本位であった山伏も、招かれれば加持祈祷に赴いたり、別当となって神職に代わったりもしたのである。


 山麓には石組みの岩室(いわさか)や社壇、寺址、行状場らしい遺跡が所々に残っている。

 藤本浩一は、石室の一部の窪みは、仏像を安置する龕(がん)ではなかったかといい、上には屋根があったはずだという。

 藤倉山の山麓には懸崖(けんがい)や、多くの巨岩が目をひくが、藤倉権現の南側には高さ5メートル、横14メートル、前後2〜3メートルの大岩が二十数個も不規則に分布している。

 藤本浩一は「これはどうみても古代の盤座としか考えられない。磐座は構築されたものはないといって過言ではなく・・・・すべてが自然で人口の加わっていないのが磐座の本質である」(藤倉山遺跡考)という。

 磐座は古代における石信仰の一つで、考古学上から明らかな形で認められるようになったのは古墳時代に入ってからである。

 岩石の上面または座石を、神体もしくは神い出ます座所とみなしたのである。

 こうした巨岩を神護石とよんで山伏などは最も信奉したのであった。

 また、両山の山麓一帯は台地状をなし、その広さは二百町歩(約200ヘクタール)に及ぶ。

 灌漑技術の幼稚であった弥生時代の稲作には適した土地であったであろう。

 ここには古代集落が形成されていたともいわれているが、残念ながらこの時代の土器や銅器などの遺物は、まだ、発見されていない。

 大昔の北陸道も、この付近を通ったという。

 日野川の激流がぶつかる三か所山裾や、鹿蒜川がぶつかる愛宕山裾の急崖は、古代人の交通を遮断したであろう。

 また、扇状地性低地に位置する現在の今庄市街はの扇端は、日野川の氾濫源であり定住を許さなかったから、両山の山腹を通ったであろうことは充分考えられる。


  注)この文章は、山本勝士さんが書かれた「福井県 今庄の歴史探訪」からの引用です。


 
posted by 兵三(ひょうさ) at 05:28| Comment(2) | 今庄宿の歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
なかなか勉強になる内容です。機会がありましたら、写真添付御願いします。でも熊が出ないときの登山ですね。健康第一です。
Posted by こーちゃん at 2010年08月09日 11:16
こーちゃんさんへ

この秋に壮年会のみんなでハイキングコースの草刈りをしますので、その時に写真を撮ってきます。

お楽しみに・・・・・。





Posted by ケント at 2010年08月11日 22:29
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