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2012年05月13日

燧ヶ城址(2)

 南北朝・戦国期の山城

 南北朝の延元元年(1336)には今荘(今庄)浄慶が居城とし、足利方の斯波高経の軍に味方して、そま山城から金ヶ崎城に戻る新田方の新田義顕、脇屋義助らの軍の行く手を阻もうとしたことが「太平記」に見られる。

 その後天正三年(1575)、織田信長の越前征伐には、一向一揆の総大将下間頼照(「朝倉始末記」では木ノ芽峠の観音寺丸城)が立てこもり抵抗したが破れている。

 三丁には今も投石に使ったという巨岩が転がり、砦や本丸跡には石垣や、その周囲には空堀、切り堀などがあり、山城の址がよく分かる。

 山頂からは視野一杯に南越の山並みが広がり、眼下に今庄の街並みを見下ろす景観は素晴らしい。

 注)この文章は、山本勝士さんが書かれた「福井県 今庄の歴史探訪」から許可を頂いて引用しています。

 


posted by 兵三(ひょうさ) at 03:09| Comment(0) | 今庄宿の歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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