集落を抜けて直ぐのところに一里塚の跡が残っています。
一里塚(いちりづか)とは、大きな道路の側に1里(約3.927キロメートル)毎に旅行者の目印として設置した塚(土盛り)で、塚の側に槐(エンジュ)の木を植えたり標識を立てたりしていたそうですが、今では今庄特産のつるし柿を作る柿の木だけになっています。
アスファルトの道は当然当時はなかったんですが、山裾にその街道の痕跡が残っています。
ちょっと崩れて分かり難いんですが、父からここがその街道跡だと教えてくれました。
さらに行くと、
新道の集落が見えてきます。
道が二又に分かれていますが、川沿いの道は新しいもので山側の道が古い道です。
この近く野山裾に今庄を支配していた赤座氏の居館がありました。
続く・・・・・。