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2013年03月01日

慈眼寺の伝説

 夜叉が池の竜神

  昔、慈眼寺境内に竜神池と言う美しい池があった。

 いつの頃からこの池に嫉妬深い一人の女が夜叉になって住みついていた。 

 おこの女は名声の高い天真自性禅師を教えをうけていたので、夜叉に化けて住みついたのである。

 そこで禅師はある日、竜神池のそばの大きな石の上に座禅して「いちげ」(ありがたいお経の一節)を授けて仏教の教えを説かれた。

 すると夜叉は大変感激して解脱し、禅師に厚くお礼を言って今庄の奥の夜叉が池に移り住んだ。

 それから毎年のお盆に龍燈と言う提灯をさげて、寺にお参りしたという。

 不思議なことにこの夜叉がお参りに来る大法要の時には、道すじは必ず雨が降ると伝えられれている。

 それで日照り続きで干ばつの時には、お寺の住職が夜叉が池にお参りして雨乞いすると、必ず雨がるという。

 夜叉が池への登り口
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 豆臼の伝説

 平安時代初めの弘仁七年(816年)、田倉郷の小倉谷に天台宗月曳寺を開いた谷口権左衛門(権兵衛)と言う人がいた。

 この人の後妻たやはいたって邪険な女で継子をひどくいじめた。

 ある日、実の子には生豆を持たせ、継子には炒り豆を持たせて、山畑へまきに行かせた。

 ところが継子のまいた炒り豆の中に一粒の生豆があって、その年の四月八日一夜で一茎双枝(一本から二本の枝が出ること)の豆の木が生え、みるみる大木になった。

 その年の秋には東に伸びた枝に七石、西に延びた枝に八石、合わせて十五石(約2700リットル)の豆がなった。

 今も小倉谷には七石谷、八石谷の地名がある。

 さしもの邪険なこのまま母も改心してわが子と同じく可愛がって育てたという。

 継母はその豆の木の根元で搗き臼を作り、枝で太鼓の胴を作った。

 太鼓は江州伊賀群の寒山寺に寄進し、搗き臼は月曳寺の宝物として保存した。

 その後、慈眼寺を開いた天真自性禅師がこの臼をもらって今日に伝えると言う。

 宝物の豆臼
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posted by 兵三(ひょうさ) at 01:00| Comment(0) | 神社・仏閣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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